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ハルシャ・ヴァルダナ 南インド進出の野望
北インド一帯にその偉容を誇ったハルシャは、マウリヤ朝の
アショーカ王やグプタ朝のサムドラグプタの顰にならって
南インド進出を企て、数万にのぼる象軍を中心とする
巨大な軍隊を南進させた
当時の南インドでは、デカン高原のバーダーミに都する
チャールキヤ朝とタミル平原のカーンチープラムに本拠をおく
パッラヴァ朝が2大勢力で、前者の王プラケーシン2世が
ハルシャの郡を南北インドの境であったヴィンディヤ山脈の麓の
ナルマダー河畔に迎え撃った(634ごろ)
連戦連勝を誇ったさしもの軍隊も主力の象軍が壊滅的な打撃を蒙り
ついにここに一敗地にまみれることとなった
ハルシャの野望も打ち砕かれたのである
この出来事は、南インドの諸国が北インドの先進的な文化や
技術を吸収しながらもその一方的影響から脱して
ドラヴィダ文化独自の発展の道を歩み始めていたことを示している
北インド随一のハルシャの国家にも拮抗しうる力を
すでにそなえていたのである+
アショーカ王やグプタ朝のサムドラグプタの顰にならって
南インド進出を企て、数万にのぼる象軍を中心とする
巨大な軍隊を南進させた
当時の南インドでは、デカン高原のバーダーミに都する
チャールキヤ朝とタミル平原のカーンチープラムに本拠をおく
パッラヴァ朝が2大勢力で、前者の王プラケーシン2世が
ハルシャの郡を南北インドの境であったヴィンディヤ山脈の麓の
ナルマダー河畔に迎え撃った(634ごろ)
連戦連勝を誇ったさしもの軍隊も主力の象軍が壊滅的な打撃を蒙り
ついにここに一敗地にまみれることとなった
ハルシャの野望も打ち砕かれたのである
この出来事は、南インドの諸国が北インドの先進的な文化や
技術を吸収しながらもその一方的影響から脱して
ドラヴィダ文化独自の発展の道を歩み始めていたことを示している
北インド随一のハルシャの国家にも拮抗しうる力を
すでにそなえていたのである+
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