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アショーカ王1
B.C.3C
在位268ごろ~232B.Cごろ
インダス川、ガンジス川という両大河にまたがる
インド最初の統一帝国をうちたてたのは
チャンドラグプタ(在位前317ごろ~前293ごろ)である
アショーカはここに誕生したマウリヤ帝国(前317~前180)の
第3代の帝王として即位した
彼は当初、、祖父以来の領土拡張政策を推し進め
即位後8年にデカン東北にあった強国カリンガを征服した
しかしカリンガ征服は、兵士ばかりでなく住民にも
多大な犠牲者をもたらすものであった
アショーカはこれを反省して政策を大転換させ
非暴力主義にたつ「ダルマ」の政治の実施に踏み切った
そしてその政治の理想を全住民に知らしめるため
詔勅を発布してそれを領内各地の岩石(磨崖)や石柱に刻ませた
また、使節を派遣して、その理想をシリア・エジプトなどの
ギリシア人諸王や、半島南部のドラヴィダ人諸王、スリランカ王に伝えた
一方、アショーカは、カリンガ制服の前後から仏教に信者になり
それ以後熱心な仏教徒として仏塔建立や聖地巡拝を行っている
また仏典の編集を援助したという
しかし宗教政策は寛容で、仏教以外の諸宗教をも同時に保護している
アショーカ王は36差年の在位の後没したが
その死後ほどなく大国は分裂を初め、50年後に滅亡した
在位268ごろ~232B.Cごろ
インダス川、ガンジス川という両大河にまたがる
インド最初の統一帝国をうちたてたのは
チャンドラグプタ(在位前317ごろ~前293ごろ)である
アショーカはここに誕生したマウリヤ帝国(前317~前180)の
第3代の帝王として即位した
彼は当初、、祖父以来の領土拡張政策を推し進め
即位後8年にデカン東北にあった強国カリンガを征服した
しかしカリンガ征服は、兵士ばかりでなく住民にも
多大な犠牲者をもたらすものであった
アショーカはこれを反省して政策を大転換させ
非暴力主義にたつ「ダルマ」の政治の実施に踏み切った
そしてその政治の理想を全住民に知らしめるため
詔勅を発布してそれを領内各地の岩石(磨崖)や石柱に刻ませた
また、使節を派遣して、その理想をシリア・エジプトなどの
ギリシア人諸王や、半島南部のドラヴィダ人諸王、スリランカ王に伝えた
一方、アショーカは、カリンガ制服の前後から仏教に信者になり
それ以後熱心な仏教徒として仏塔建立や聖地巡拝を行っている
また仏典の編集を援助したという
しかし宗教政策は寛容で、仏教以外の諸宗教をも同時に保護している
アショーカ王は36差年の在位の後没したが
その死後ほどなく大国は分裂を初め、50年後に滅亡した
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