忍者ブログ

-世界の偉人達-

[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

アショーカ王3

仏教を保護する
改宗後のアショーカは、まず仏塔建立の大事業に着手した
ブッダの死後、遺骨(舎利)は八国の塔に納められたが
アショーカはそれらの塔から遺骨を取り出し
8万4000の塔を建ててそのなかに分納したという
つづいてアショーカは、高僧に導かれて仏跡巡排の旅にでた
それはブッダ誕生の地に始まり、成道の地、主要な滞在地を経て
涅槃の地にいたるものであった
今日では、考古学的調査の結果、アショーカが実際に
いくつかの塔を建立したことがわかっており
またブッダ誕生の地を訪れたことを記念して王自身が
立てた石柱と碑文もみつかっている
さらにアショーカは、仏教教団が教義の理解をめぐって
分裂している状況を憂いて、高僧たちを集め仏典の編集の
集会を開かせたとういう
このいわゆる第三結集によって正統と認められたのは
今日の南方仏教(上座部)の教理であった
しかしこの結集の伝説は南方伝承のみにつたえられるものであるため
史実かどうか疑われている
アショーカの晩年は不幸であったらしい
伝説によると、王は仏教教団に十億金を寄進する目標をたてたが
達成直前に重病にかかった
不足分の寄進をしようとしたのであるが
国庫の減少を心配した大臣が、皇太子とはかって王を幽閉してしまった
自由に布施できなくなった王は、食卓に並べられた
黄金の食器、銀の食器、銅の食器をつぎつぎに布施し
最後には瓦器で食事を供されるにいたった
悲運をなげいた王は、手中にのこったマンゴーを首都の
僧院に送った後、没したという
歴史家のなかには、こうした伝説を手がかりに
アショーカ王が晩年に支配権を失ったこと
老齢の王をめぐり宮廷内に陰謀が渦巻いたことを推測する者もある

PR
この記事へのコメント
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
管理人のみ閲覧できます
 
この記事へのトラックバック

トラックバックURL

カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
バナー広告
プロフィール
HN:
ETSUKO
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
Copyright ©  -- 人物史 --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by petit sozai emi / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]