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ナーガールジュナの活躍した時代
ナーガールジュナが生きた2~3世紀は
北インドにクシャーナ朝、南インドのデカン高原にサータヴァーハナ朝
最南のタミル地方にはドラヴィダ人の諸国家が分立した時代である
ヴェーダ文献では身分の低い「ダスユ」と記されており
正統アーリヤの一員とは認められていない
にもかかわらず、王朝の諸王はアシュヴァ・メーダをはじめとする
ヴェーダの儀式を挙行し、アーリヤ文化、
バラモン文化の体現者であることを誇示している
その背景には北インドの先進文化や技術がしだいに
南インドに波及する一方で、ドラヴィダ系であった
可能性の高いデカン高原一帯の人々と北インドの人々との
混血もかなり進んだことがあったと考えられる
ナーガールジュナもそのような時代の空気を吸って
人生を歩んだとみて間違いない
それは北インドのアーリヤ人主導のサンスクリット文化が
民族的にも多様な亜大陸各地の人々に受容され
南インドではしだいにドラヴィダ系を中心とした
先住民文化の要素が加わって変容をとけていく過程でもあった
北インドにクシャーナ朝、南インドのデカン高原にサータヴァーハナ朝
最南のタミル地方にはドラヴィダ人の諸国家が分立した時代である
ヴェーダ文献では身分の低い「ダスユ」と記されており
正統アーリヤの一員とは認められていない
にもかかわらず、王朝の諸王はアシュヴァ・メーダをはじめとする
ヴェーダの儀式を挙行し、アーリヤ文化、
バラモン文化の体現者であることを誇示している
その背景には北インドの先進文化や技術がしだいに
南インドに波及する一方で、ドラヴィダ系であった
可能性の高いデカン高原一帯の人々と北インドの人々との
混血もかなり進んだことがあったと考えられる
ナーガールジュナもそのような時代の空気を吸って
人生を歩んだとみて間違いない
それは北インドのアーリヤ人主導のサンスクリット文化が
民族的にも多様な亜大陸各地の人々に受容され
南インドではしだいにドラヴィダ系を中心とした
先住民文化の要素が加わって変容をとけていく過程でもあった
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